高柳昌行・阿部薫  『解体的交感』

高柳昌行阿部薫 
『解体的交感』 


CD: DIW Records/Distributed by disk union
DIW-415 (1999年) 
税抜価格¥2,300 

 

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帯文: 

「29年の歳月を経て世紀末に蘇る狂気のデュオ・インプロヴィゼイション 
●解説:佐々木敦('99年)、間章('70年)」 


解体的交感 
ニュー・ディレクション 
高柳昌行(g)・阿部薫(as, bass cl, harmonica) 


制作: サウンドクリエイターズINC 
ディレクター: 高柳昌行 
録音: 剣持幸三 
録音データ: 1970年6月28日/厚生年金会館小ホール 

Produced: SOUND CREATORS INC. 
Director: Masayuki Takayanagi 
Engineer: Kouzo Kenmochi 
Recorded: Kousei Nenkin Hall, Tokyo / June 28, 1970 


「音源が古い為、一部お聴き苦しい点がございます。あらかじめご了承ください。」


間章によるオリジナル・ライナーノーツより◆ 

高柳昌行阿部薫によって演奏という行為が音楽行為や芸術行為としてすなおに結びついているということはない。彼等にとって例えばある場所での演奏が一体何であるのかと言うならば、それは非人称の行為へ向っての宇宙のつまりは全ての構造的世界の解体から全ての再生産への究極的な行為へと自分を決定的に開くことに他ならないのではないだろうか? 阿部がよく低くいうところの、「全ての事物の全ての生命体の全ての時間の全ての場のせめぎあいとおしよせに対しての人間共のなだれをうっておさまっている日常性への転落を速度と静けさによって死に絶えさせる為の行為、」が芸術行為と呼ばれるはずがない。
 労働も芸術も性行為も全て遊戯だと言い切る阿部や私との問題意識は一つつまり世界を宇宙を再生産することしかないという断言から始まるのだ。人類出現からの数十万年は共同体を共同体成さしめているものを欠落からの生産し得ず死に得ず生きえぬぼう大な時間に他ならない。人類は何もしなかった。ただくたばりながら在っただけだと言語を発しようとする時、我々の問題は革命やエロチシズムや不可能性という語を絶対的にぶっとばしていたはずなのだが、そこにひらけてくる地平は全てのものを引き受けイデアルにしかもリアルに存在論的に人類と全宇宙の惰性を否定しながら全てを原理的に理念化する作業だった。高柳と阿部の演奏行為はつまりそれにあたるのだ。私と彼等のこの苛酷な個的な斗いは語の意味どおりRAJIX(ギリシャ語で根、根源の意)へのラディカルな作業でないときは全ては意味を持たない。私は少なく共阿部薫程厳密に演奏するとはどういうことか?音とは何か?行為するとはどういうことか?演奏しているときには何をやっているのか?と問い強固にしている人間を世界的にいないと確実に思うが70年6月28日に行なわれたコンサートもそういう阿部と高柳のある一つの行為だったのに違いない。演奏するということは生き死にの問題なのだと断言する高柳とジャズを演奏すると決していわない阿部とが私を介して、5月に会い、5月7日と5月14日にした演奏の事を私は無限定に決定的に思い出さねばならないのだが、彼等はいつも究極の行為として演奏している。5月14日に4時間半やり続けた彼等の演奏がどのように言語処理できるのか私は疑うが、あの時展開されたのは音楽でもジャズでもなかった。あれは音でもなかった。あれは狂気でも幻でもなく、リアルな究極の行為としか言いようがない。例えば彼等がやろうとしていることが阿部の言う「俺は静けさが爆発するところまでやる。そこでは全てが現われ俺は目くらになり俺を聞いた者は死ぬ。」という言葉が確実にリアライズされつつあるということを私の身を持って知っている故に、名づけたりでき得ない。安く評価できたり判断できたりすることが可能ならば、それは日常性についには包みこまれてしまう全ての芸術と同じ地平にあるだけだろうから。」


◆本CDについて◆ 

投げ込みライナーに佐々木敦「《1》でも《3》でもなく《2》であるとはどういうことか?―「解体的交感」解説にかえて」、間章によるオリジナル・ライナーノーツ「「解体的交感」とニュー・ディレクション」、清水俊彦によるコンサート評「解体的交感=ジャズ死滅への投射」(スイングジャーナル1970年8月号より転載)、クレジット、写真図版(高柳昌行)1点。

オリジナルLPは1970年にSound Creators Inc.よりリリースされました(SCi-10101)。

マイルスではなくコルトレーンに、進化ではなく原初への回帰に、共同体ではなく個にジャズの未来を望見したフリージャズの到達点が本作であったと思います。

★★★★★ 

 

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