『Morris On』  Ashley Hutchings / Richard Thompson / Dave Mattacks / John Kirkpatrick / Barry Dransfield 

『Morris On』 
Ashley Hutchings / Richard Thompson / Dave Mattacks / John Kirkpatrick / Barry Dransfield 


CD: Hannibal Records / Rykodisc 
HNCD 4406 
Printed in the USA. 

 

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1. Morris Call 
2. Greensleeves 
3. The Nutting Girl 
4. Old Woman Tossed Up In A Blanket / Sheperd's Hey / Trunkles 
5. Staines Morris 
6. Lads A'Bunchum / Young Collins 
7. Vandals Of Hummerwich 
8. Willow Tree / Bean Setting / Shooting 
9. I'll Go And 'List For A Sailor 
10. Princess Royal 
11. Cuckoo's Nest 
12. Morris Off 


John Kirkpatrick: vocals, button accordion, anglo-concertina, harmonium, tambourine 
Richard Thompson: vocals, electric guitar 
Barry Dransfield: vocals, fiddle, acoustic guitar 
Ashley Hutchings: vocals, bass guitar 
Dave Mattacks: drums, tambourine 

with guests: 
Shirley Hutchings, who sings "The Willow Tree" and "Staines Morris." 
Bert Cleaver, who plays pipe and tabor on "Vandals of Hummerwich" 
Ray Worman, who dances the bacca pipes jig to "Greensleeves". 
and the Chingford Morris Men, who perform the stick dances, "Lads A'Bunchum" and "Young Collins." 

Produced and Engineered by John Wood 
for Witchseason  Production Limited 
Front Photo by: Keith Morris 

All songs arranged by Dransfield, Hutchings, Kirkpatrick, Mattacks, Thompson. 


◆本CDについて◆

フェアポート・コンヴェンションのアシュリー・ハッチングス、リチャード・トンプソン、デイヴ・マタックスがジョン・カークパトリック(アコーディオン)&バリー・ドランスフィールド(フィドル)をフロントに据えて、イングランドの伝統舞踊モリス・ダンスを電気仕掛け(エレクトリック)で再生させた『モリス・オン』。シャーリー・コリンズも歌で参加しています(「Staines Morris」「Willow Tree」)。

LPは1972年にアイランド(Island Records)の廉価盤レーベル「HELP」からリリースされました。

ハッチングスはその後も『Son of Morris On』(続モリス・オン、1976年)、やや間を置いて『Grandson of Morris On』(続々モリス・オン、2002年)、『Great Grandson of Morris On』(続々々モリス・オン、2004年)と、ゴーゴーゴー&モリスオンしています。

思えば日本では山口昌男が「道化(トリックスター)」「祝祭」「中心と周縁」をテーマに辺境の知を開拓していた1970年代に、イギリスではアシュリー・ハッチングスがボーダー(辺境)・モリス・ダンスを開拓していたのは興味深いです。ハッチングスの一連のダンス・ミュージック・プロジェクトが生粋のフォーク・ミュージシャンを交えつつもエレクトリック・トラッド/古楽/フリージャズに携わるミュージシャンによって構成されていたことは、エレクトリック・トラッドがフォーク界の、古楽がクラシック界の、フリージャズがジャズ界の異端・辺境であり、それゆえに硬直したノモスにカオスを導入し再活性化する力を有していたゆえに他ならないです。

★★★★★ 


石井美樹子シェイクスピアフォークロア――祭りと民間信仰』(中公新書、1993年)より◆ 

民俗学者のセシル・シャープの尽力でコッツウォルド地方のモリス・ダンスのいくつかが復原され、保存されている。そのほとんどが、もとは聖霊降臨祭(復活祭後の第七の日曜日)に行なわれた。」
「一八九九年のクリスマス、(中略)セシル・シャープはオックスフォード近郊の村、ヘッディントンに滞在中だった。クリスマスの翌日、(中略)シャープは居間の窓からぼんやり外を眺めていた。しばらくすると、白い衣装を着て、造花や羽毛で飾った帽子をかぶった奇妙な一団が、鈴の音を響かせながらやってくるのが目に入った。休日を利用して家々をまわり、いくばくかの酒代を募る若者たちの一団だった。かれらが踊っていたのはモリス・ダンス。モリス・ダンスといえば、五月祭の行事のはず。季節はずれの踊りはシャープの注意を引く。
 踊り手のなかにウィリアム・キンブラーという名の若者がいた。キンブラーはオックスフォードシャーに伝わるモリス・ダンスの数少ない後継者で、さまざまなタイプの踊りに精通していた。」
「近代化の波におされて多くの風俗が消滅しかけていた。イギリスの伝統文化の消滅を防ぎ、保存するためにはいまをおいてほかにない。そう痛感しているシャープは、キンブラーとの出会いにより、モリス・ダンスの復活・復原に生涯を捧げる決意をする。」

「イギリスには、五月祭(原則として五月一日に祝われる)や聖霊降臨祭に、老若男女をとわず、朝早く起きて森や山にゆき、夜を徹してさまざまな楽しい遊戯にふける風習があった。草花や木を取って帰り、町や村の広場に五月柱(メイポール)を立てて草花やリボンで飾り、その下で踊ったり、さまざまな競技をして楽しんだ。」
「五月祭の余興の華はモリス・ダンスと村芝居であったが、モリス・ダンスは、イギリス人の代名詞にさえなっている。」
「祭りの広場の演芸には、(中略)女装した人物(man-woman)がかならずといっていいくらい登場した。」
「男が女に、あるいは女が男に装うことは、両性の合体と結合をほのめかしているのだ。性の結合は、いうまでもなく、あらゆる農神的季節の祭りの精髄である。」

シェイクスピアと同時代人の文人ベン・ジョンソンの定義によると、(引用者注:「モリスコ(Morisco)」=「モリス・ダンスの踊り手」は)もとは軍隊の踊りを踊るムーア人のことであったというが、シェイクスピアの時代のモリス・ダンスはムーア人との関係は薄い。起源は、道化が付き添っていることや踊り手の衣装に鈴が用いられていることなどから、「愚者の祭り」や、イギリスがキリスト教に改宗する以前の異教の豊穣の儀式にまでさかのぼるといわれている。」

「モリス・ダンスは、(中略)豊穣を祈願する五月祭の行事のひとつとして十六、七世紀に大流行した。」
「ヘンリー七世の時代には、モリス・ダンスは王室の会計簿に頻繁に顔を見せるようになる。ヘンリー八世は父王に劣らぬモリス・ダンスの愛好者で、宮廷の祝いの行事にはかならずといってよいほどモリス・ダンスを招いた。」
「一五二五年からしばらくのあいだ、宮廷の余興としてのモリス・ダンスは姿を消す。ローマ教会とたもとを分かつことになるヘンリー八世は、ピューリタンが眉をひそめるモリス・ダンスをおおやけの場で用いることを自重したのであろう。」
「宮廷の余興として姿を隠しているあいだ、モリス・ダンスは、ロンドンの五月祭やクリスマスの無礼講に頻繁に姿を見せている。ロビン・フッドの一味がモリス・ダンスの常連になるのはこのころからだ。」


◆川崎寿彦『森のイングランド』(平凡社、1987年)より◆ 

「ローマ帝政期にはその広大な版図各地の異民族から、地母神崇拝の風習が移入され、太母(マグナマテル)信仰としてローマ人のあいだにひろまった。本来はフリギアその他の小アジア地方の女神であったキュベレーに対する信仰は、その代表的なものである。穀物の実りを表象するこの女神に対する信仰は、容易に一般の植物信仰と結びつき、森の木々との連想も自然に成立した。時代が下って中世期に、この太母信仰が春の森から新しい生命力を共同体に持ち帰る祝祭、いわゆる〈五月祭(メイ・デイ)〉の行事に発展していくのはこのためである。」

「〈フォレスト〉(forest)が〈外〉を意味し、foreign と同語源であるという事実は、どの時代にもかならずある意味をもつであろう。それは(中略)一種の〈異界〉であった。」
「しかしこのフォレストにあえて入りこむ人びとがいた。〈アウトロー〉、すなわち法に捨てられ、またある場合はみずから法を捨てた無法者たちである。」
「一三世紀の半ば、ヘンリー三世の治世に、ウースタシアのフォレストにはジェフリー・ド・パーク(Geoffrey de Park)と呼ぶアウトローが、一〇〇人近い手下を従えてひそんでいた。(中略)しかし奇妙なことにアウトローたちは、民衆の間でひそかな人気があったようで、それも時代が下るほどその傾向が強くなる。一般に法のしがらみに縛られて生きる平凡な良民たちは、あえて法に立ち向かうアウトローの強さに対して、羨望と尊敬を感じ続けたのかもしれない。〈ノモス〉に対する庶民の屈折した心情は、〈カオス〉に対してひそかな拍手を送ったのであろう。」
「伝承やバラッドが、しきりに森のアウトローを取り上げるようになった。」
「中世民衆の英雄像は、権力を無視して〈森〉にたてこもる側にあったことだけは確かだ。」
「このような背景の上に、ロビン・フッド像は鮮明に結ばれる。百数十人を数える屈強の弓の名手を従え、シャーウッドの森を支配し、神出鬼没、ノティンガムの悪代官や、聖マリア僧院の悪僧どもに、一泡も二泡も吹かせた快男児。婦女子をいたわり、富める者より奪い、貧しき者にほどこした義賊…。」
「上はおそらく郷紳階級(ジェントリ)から、下はおそらく小作農まで、中世英国人の願望はこの種の英雄像を必要としていた。(中略)さらにその背景には、人類が〈森〉に対して抱く祖型的な期待感があったはずである。
 ロビン・フッドは一四世紀後半に、バラッド型式でかなりポピュラーになっていたらしい。それは一三七七年作と推定される長詩『農夫ピアズの夢』(中略)のなかで、一人の無知な僧侶が「主の祈りは唱えられなくてもロビン・フッドの詩ならお手のもの」と妙な自慢をしているからである。」
「古代人の胸の奥に暗くわだかまっていた〈森〉に対する畏敬の念は、キュベレーをはじめとする異教地母神の崇拝と結びついたまま、中世世界にひきつがれたように思われる。中世農民(ペザント)たちの異教(ペイガン)的な魂は、森を生命力の源泉とみなし、それにあやかろうとする渇仰を村落共同体のさまざまな祝祭に託した。〈五月祭(メイ・デイ)〉はその代表である。」
「さてこのように〈森〉の力を称える民衆の祝祭には、全体をつかさどる司祭的役割があったと思われる。その役割はいつしか〈五月祭の王〉(May King: Lord of May)、〈夏の王〉(Summer Lord)と呼ばれるようになったらしい。もちろん異教的祝祭であり、キリスト教会のミサに対する反・ミサ的性格をもったから、教会はこの祝祭を敵視した。そして〈五月祭の王〉は〈反秩序の王〉(Lord of Misrule)、〈不条理の僧院長〉(Abbot of Unreason)などのいみじき呼称で呼ばれるようになる。〈カオス〉的性格、さらにいえば〈トリックスター〉的性格を、よく表わす呼称というべきだろう。
 バラッドが称えた森の王者ロビン・フッドが、祝祭の興奮のなかでこの〈五月祭の王〉と合体させられるのは、きわめて容易であった。」