幻の猫たち 改訂版

まぼろしの猫を慕いて

ジュリー・ドリスコール、ブライアン・オーガー&トリニティ  『ストリートノイズ』 

ジュリー・ドリスコール、ブライアン・オーガー&トリニティ 
『ストリートノイズ』 

Julie Driscoll, Brian Auger & The Trinity 
Streetnoise 


LP:ポリドールレコード 
発売元:ポリドール株式会社 
ロック・コレクターズ・シリーズ第2集 
35MM 0198/9 (1982年) [2枚組] 
¥3,500 
Manufactured by Polydor K.K., Japan KA 8209 

 


Side 1 

1.南回帰線 5:29 
TROPIC OF CAPRICORN 
2.チェコソロヴァキア 6:16 
CZECHOSLOVAKIA 
3.テイク・ミー・トゥ・ザ・ウォーター 4:15 
TAKE ME TO THE WATER 
4.カラーの種類 1:36 
A WORD ABOUT COLOUR 


Side 2 

1.ライト・マイ・ファイアー 4:20 
LIGHT MY FIRE 
2.インディアン・ロープ・マン 3:20 
INDIAN ROPE MAN 
3.私が少女だったころ 7:00
WHEN I WAS A YOUNG GIRL 
4.レット・ザ・サンシャイン・イン 3:40 
FLESH FAILURES (Let The Sunshine In) 


Side 3 

1.エリス島 4:07 
ELLIS ISLAND 
2.太陽を求めて 4:21 
IN SEARCH OF THE SUN 
3.ファイナリィ・ファウンド 4:10 
FINALLY FOUND YOU OUT 
4.世界を見つめよう 5:00 
LOOKING IN THE EYE OF THE WORLD 


Side 4 

1.ランベス・ブリッジ 6:29 
VAUXHALL TO LAMBETH BRIDGE 
2.オール・ブルース 5:40 
ALL BLUES 
3.アイヴ・ゴット・ライフ 4:25 
I'VE GOT LIFE 
4.国を救え 3:55 
SAVE THE COUNTRY 


北村昌士による解説より◆ 

「ここに紹介する1969年制作のジュリー・ドリスコール、ブライアン・オーガー&トリニティのセカンド・アルバム『ストリート・ノイズ』も、60年代後半のブリティッシュ・ロックを代表する堂々たる傑作レコードの1枚である。ただし新しい世代のロック・ファンには少々なじみの薄いグループかとも思われるので、まずはメンバー紹介を中心に彼らの沿革的解説から始めていこう。
●ブライアン・オーガー(オルガン、ピアノ、ヴォーカル) 
 1939年7月18日ロンドンに生まれたオーガーは、ピアノとオルガンを独学で学び、1961年デイヴ・モーズのクインテットでジャズ・ピアニストとしてデビューした。翌年には自身のトリオを結成し、それがメロディー・メイカーなどで脚光を浴びることになる。トリニティーは1965年にロング・ジョン・ボールドリイのスティーム・パケットへの参加を通じて知り合った女性ヴォーカリスト、ジュリー・ドリスコールに新メンバー2人を加え、オーガーが自らリーダーとなって結成したグループである。
●ジュリー・ドリスコール(ヴォーカル、生ギター) 
 1947年6月8日ロンドンの生まれ。トリニティーを1969年に脱退した後、ソロ・シンガーとフリー・ミュージック・ヴォーカライザーとしての2つの活動を行なっている。1970年11月、ピアニストのキース・ティペットと結婚し、現在は2児の母でもある。(中略) 
●デヴィッド・アンブローズ(ベース、ギター) 
 1946年12月11日ロンドンの生まれ。トリニティー以前は、ロッド・スチュワートやピーター・バーデンスのいたショットガン・エクスプレスのメンバーとして知られる。
●クライヴ・サッカー(ドラムス) 
 1940年2月13日ミドルセックスのエンフィールドに生まれたサッカーは、マックス・エイブラハムのドラム・スクールでドラムを学び、1957年にプロとしてデビューした。ジャズ・ドラマーとしても当時第一級の評価を受けている。」
「以上のようなメンバー各自のキャリアにも明らかなように、いわゆる《ジャズ・ロック》と呼ばれる最も初期のコンセプトがトリニティーの音楽の土台になっているが、それに加えて当時のブリティッシュ・ロックに最も大きな影響を及ぼしていたリズム&ブルース、ゴスペルといった黒人音楽からの影響も随所に顔を出している。しかしさらに圧巻なのはこのアルバム全体を貫く思想的テーマというか、トータルな精神性そのもので、「自由とは何か、私たちは現在どのような状態で生きているか、社会とは何か、そして祖国・人間への本源的な愛」という4つの視点から捉えた《現代》(もちろん60年代後半)が‟ストリート・ノイズ”(街のざわめき)というメタファーを通して、半ばドキュメンタルに生々しく表現されていることだろう。これは決して無意味な誇張でもいかめしい客観分析でもなく、もっとひたむきな情熱が音楽自体の力の強化にとても自然に転換されてドラマティックな世界をつくり上げているように感じる。いわば60年代の時代精神というものが、きわめて高度に昇華されて音楽と融合した、これはそうした意味での歴史的な作品なのである。
 1面は、サブタイトルとして「自由を感じられるならどんなにすばらしいだろう」というテーマが掲げられている。1曲目はブライアン・オーガーの作品‟Tropic of Capricorn”。力強いオルガンのソロ・フレーズが導入部にふさわしいエネルギッシュなタッチで演奏されている。2曲目にはジュリー・ドリスコールによる‟チェコスロバキア”。これは1968年に起こったソ連軍のプラハ侵入を題材にしたもので、淡々としたジュリーのヴォーカルは途中のリズム・オフのパートの呪うような調子の箇所を受けたノイジーなコンクレート音による悲惨な情景描写で最高潮に達する。次はジュリーの敬愛するニーナ・シモンの曲‟Take Me To The Water”。黒人奴隷が自由を求めて神に祈る、いわゆるゴスペル・ソングである。1面の最後にはジュリーの作曲でアコースティックな小品が歌われる。美しいメロディーのこの曲は当時のブリティッシュ・グループ、フェアポート・コンヴェンション、レッド・ツェッペリン、フリーなどもよく演奏したトラッド・ミュージックに通じるものだ。
 2面は「彼がいってしまう、早くキスしてあげて」という副題が付いている。当時の若者の生の姿を刻明に表現したパートである。1曲目にはドアーズのヒットで名高い‟ハートに火をつけて”が、オーガーのジャージーなアレンジで演奏される。ジュリーの黒っぽいヴォーカルが聞きものだ。次の曲は当時の人気黒人シンガー、リッチー・ヘヴンスの作品で、ここでもブライアン・オーガーのプログレッシヴなアレンジが生き生きとしている。3曲目‟私が少女だったころ”は、イギリス民謡をジュリーがアレンジしたもので、オルガンのドローン(通低音)を基調にした実験的な試みがされている。2面ラストは当時大流行したロック・ミュージカル「ヘアー」からそのテーマ曲‟レット・ザ・サンシャイン・イン”。日本でもフィフス・ディメンションのヴァージョンが大ヒットしたので御存知の方も多いことだろう。
 3面に移ると再びオリジナル曲を中心とした「世界の瞳をのぞいて」というテーマが掲げられて世界と社会のありさまが歌われる。1曲目‟エリス”はトランペッター、ドン・エリスに捧げられたブライアン・オーガーの曲でオルガン・ソロを中心とした典型的なトリニティーサウンドが展開される。2曲目はベーシスト、デヴィッド・アンブローズの作品でヴォーカルも彼。残りの2曲は共にオーガーの手になるもの。この面はトリニティーというグループがいかなる音楽集団であるかを最も端的に物語っているといえる。
 最後の面は「国を救え」とタイトルされたフィナーレにあたるシーンであるが、ブルース、R&Bを基調にしたジュリー・ドリスコールの説得力のあるヴォーカルが最も強烈にリーダー・シップをとっている面である。どの曲も控え目なブライアン・オーガーのオルガン・サウンドに支えられ、ジュリーのすばらしいヴォイスが心ゆくまで味わえる。彼女のメッセージ、存在感が60年代後半、人々にどれだけのインパクトを発揮したかは推して知るべしであろう。女性でありながら少しも媚びた調子のない、それでいて豊かな情感とエネルギーにみなぎったジュリー・ドリスコール。
 残念なことにジュリー・ドリスコールはこのアルバム発表後のアメリカン・ツアーを最後にグループを離れ、ブライアン・オーガーとトリニティーはより演奏面を重視したサウンドで1971年まで継続するが、それらは結果的に本アルバム『ストリート・ノイズ』を越えるまでには至らず、結局オーガーはニュー・グループ、オブリビオン・エクスプレスを結成することになる。しかしオブリビオン・エクスプレスは一部に熱狂的支持者も得るが、商業的な成功はままならず、次第にオーガーはシーンの中心から消えていってしまう。78年春にブライアン・オーガーとジュリー・ティペットの『想い出にアンコール』が発表され往年のファンを喜ばせたがこれは1度だけの共演に終わり、オーガーはこの年の7月に、トニー・ウィリアムス、ロニー・モントローズらと来日している。」


◆本LPについて◆ 

E式見開きジャケット。二つ折りインサート(4頁)にトラックリスト、北村昌士による解説(82年6月)、歌詞。

Side 2、#3は、バーバラ・デーン(Barbara Dane)がフォーク・アルバム『When I Was a Young Girl』(1962年)で、ニーナ・シモンがフォーク・アルバム『Folksy Nina』(1964年)で取り上げていて、ジュリー・ドリスコールの歌唱はニーナ・シモンのヴァージョンが元になっています。
Side 4、#1はジュリーのアコギ弾き語り。Side 1、#4もアコギ弾き語りでしたが、このへんの思索的・探究的な歌詞と歌唱はサンディ・デニーを彷彿とさせます。Side 4、#2はマイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』収録曲にオスカー・ブラウン・ジュニアが歌詞を付けて歌ったヴァージョン(1963年)が元になっています。#3は再びミュージカル「ヘアー」からの曲で、ニーナ・シモンも取り上げています(「Ain't Got No - I Got Life」)。#4はローラ・ニーロ作。1968年、ケネディ暗殺にインスパイアされた曲で、本作の翌年(1970年)、フィフス・ディメンションのカバーでヒットしています。

★★★★★ 


Light My Fire


Indian Rope Man


I've Got Life