MAHLER
DAS KLAGENDE LIED
complete version including Waldmärchen
Helena Döse / Alfreda Hodgson / Robert Tear / Sean Rea
CBSO Chorus / City of Birmingham Symphony Orchestra
SIMON RATTLE
CD: EMI Angel/東芝EMI株式会社
CC33-3710 (1987年)
¥3,300
Made in Japan
マーラー曲
G. MAHLER
カンタータ「嘆きの歌」(全曲)
DAS KLAGENDE LIED (Complete)
1.第1部:森のメルヒェン 28:31
Part I: Waldmärchen
2.第2部:吟遊詩人 17:35
Part II: Der Spielmann
3.第3部:婚礼の出来事 18:57
Part III: Hochzeitsstück
ヘレナ・デーゼ(ソプラノ)
HELENA DÖSE (Soprano)
アルフレーダ・ホジソン(メゾ・ソプラノ)
ALFREDA HODGSON (Mezzo-Soprano)
ロバート・ティアー(テノール)
ROBERT TEAR (Tenor)
ション・レー(バリトン)
SEAN RAE (Baritone)
バーミンガム市交響楽団合唱団
CITY OF BIRMINGHAM SYMPHONY ORCHESTRA CHORUS
合唱指揮:サイモン・ハルシー
Chorus Master: Simon Halsey
サイモン・ラトル指揮
SIMON RATTLE (Cond.)
バーミンガム市交響楽団
CITY OF BIRMINGHAM SYMPHONY ORCHESTRA
Recorded: 12 & 13 Oct. 1983 & 24 June 1984; Town Hall, Birmingham
Producer: John Willan
Balance Engineer: Michael Sheady
◆菅野浩和による解説より◆
「マーラーが「嘆きの歌」の台本をみずからの手で完成させたのはまだ18歳にいたらない、1878年3月18日のことでした。」
「ここでマーラーが根拠とした素材の中には有名なグリム兄弟の童話集もあるようです。」
「このグリム兄弟の「子供と家庭の童話」の中の「歌う骨」が甚だ奇怪な幻想的なものとしてマーラーの興味を著るしくひいたものと思われますが、これに類似したものでルートヴィヒ・ベヒシュタイン(Ludwig Bechstein, 1801-1860)の「新ドイツ童話集」の中の「嘆きの歌」に含まれている「歌う小さな骨」も基本的な素材となり、ほかにマルティン・グラーフ(Martin Graf, 1839-1911)の詩「嘆きの歌」もこの際のマーラーに霊感を与えたといわれています。さらに当時のドイツのロマン派作曲家たちに人気のあったロマン派詩人たち、アイヒェンドルフ(Josef Freiherr von Eichendorf, 1788-1858)、ハイネ(Heinrich Heine, 1797-1858)、マイヤー(Conrad Ferdinand Meyer, 1825-98)などのいくつかの作品の雰囲気からも適宜影響を受けていると考えられます。
すなわちここにマーラーの青春の失意を託すべき作品の台本として、中世ドイツの民間伝説の、古拙で、詠嘆的で、奇怪な幻想のヴェールに包まれている雰囲気がぜひとも必要だったのです。」
「マーラーはこの作品への本格的取組み期間としては一年あまりをかけ、(中略)1880年11月1日に完成させました。」
「「嘆きの歌」は、(中略)その翌年の「ベートーヴェン賞」に外れたためもあって演奏の機会は遠のいたまま年月が経過してゆきました。この間、彼は1888年、すなわちこの作品完成の8年後に、(中略)この作品に改訂を試みましたが、このとき手をつけたのは第2部と第3部であり、それも根本的改変ではなく、アーティキュレイションなど、細末的なことに止っているといわれます。
ところがこの機会に第1部の部分的省略が行われ、1893年には第1部全部が削除されてしまいました。その後スコアとピアノ譜出版の準備が進められ、そのため若干の手直しが1898年に終り、翌年ようやく(中略)出版にいたったのですが、すでに作曲完成以来実に19年も経っていたのです。」
「こうした経緯による「嘆きの歌」の2部分(第2部と第3部)は、(中略)1901年2月17日、ウィーンのジングアカデミーの特別演奏会において、作曲者自身の指揮で、完成後20年あまりでようやく音になりました。」
「不幸にして取り外されてしまった第1部は(中略)、妹ユスティーネの所有になっていました。しかし彼女は1902年に当時のウィーン・フィルのコンサート・マスターのアーノルト・ロゼーと結婚し、やがて件(くだん)のスコアはその息子アルフレット・ロゼーの手に渡りました。彼はこれを1934年にブルノ放送局から放送したのでした。(中略)その翌年、1935年4月8日には第1部から第3部までがウィーン放送で演奏されています。しかしその後(中略)、アルフレット・ロゼーはこの第1部の演奏を禁止しました。やがて楽譜はアメリカ人の手に渡り、エール大学に寄贈され、1970年1月13日にはニュー・ヘヴン交響楽団で演奏されるにいたりました。
つづいて出版が1973年に行われました。作曲完成からはすでに1世紀近くも経っているのです。(中略)現時点では1973年刊の第1部に従来の刊行の第2部と第3部を加えた、いわば混用版として演奏する試みが(中略)行われるようになり、マーラーの青年時代の意欲作を完全な形で聞くことが可能となったのは、マーラー愛好家としてはよい時代に巡り合わせたとしか思えません。」
「第1部「森のメルヒェン」はグリム童話では人を殺し、畑を荒らす獰猛な猪を退治したものを王女の婿に迎えるという国王の布令に応えて、貧しい2人兄弟のうちの弟が森で小人からもらった槍でその猪を殺すことに成功したものの、それをねたんだ邪悪な兄によって川に落され、非業の死を遂げるというもの。その猪退治がマーラーの台本化の際に森の中の赤い花に変えられています。」
「第2部「吟遊詩人」(中略)。たまたま森に入りこんだ一人の吟遊詩人は一本の柳の下に白く光る小さな骨を見つけます。彼はこれを拾って吹口の穴を開けて笛にします。するとこの笛は世にもふしぎな悲しい嘆きの歌を歌い出すのです。」
「この笛の嘆きの歌を聞いた吟遊詩人は森を後にして、王宮を目指します(中略)。」
「第3部「婚礼の出来事」は、冒頭、華やかさと劇的表現の極みのような開始で、(中略)婚礼の饗宴を暗示します。」
「そこに吟遊詩人が現れますと、第2部にあった「笛の告白」が歌われます(第2部の調よりも1音低い)。つづいてこの奇怪な笛を奪い取った王が吹くくだりになりますが、(中略)王の吹く「嘆きの歌」は(中略)世にも悲しく響き渡ります。あまりのことに床に倒れる女王、逃げ迷う客人たち、やがて崩れ落ちる城の壁、邪悪な兄はその下敷となってしまい、悲劇はクライマックスに達してこの「嘆きの歌」を終ります。」
◆本CDについて◆
ブックレット(本文24頁)にトラックリスト&クレジット、菅野浩和による解説(「「嘆きの歌」の作曲をめぐって」「「嘆きの歌」の演奏の経緯」「「嘆きの歌」について」「演奏者について」)、歌詞&対訳(西野茂雄)。
ラトルの演奏は流麗で力強いです。エンディングの一撃も力強いです(やや心臓にわるいです)。ジャケ絵の色使いもよいです。
★★★★★