幻の猫たち 改訂版

まぼろしの猫を慕いて

デレク・ベイリー  『デュオ&トリオ・インプロヴィゼイション』 

デレク・ベイリー 
Derek Bailey 
『デュオ&トリオ・インプロヴィゼイション』 
Duo & Trio Improvisation 


CD: DIW Records/Distributed by disk union 
DIW-358 (1992年)
税込定価¥2,800(税抜価格¥2,718) 

 

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帯文: 

「インプロヴィゼイションの極限を渡るギターの革命者、伝説の東京録音。
阿部薫近藤等則、高木元輝、土取利行、吉沢元治との共演。●収録時間:46分23秒」


1.インプロヴィゼイション 21(9:23) デレク・ベイリー/土取利行/吉沢元治 
Improvisation 21: D. Bailey/M. Yoshizawa/T. Tsuchitori 
2.インプロヴィゼイション 22(2:28) デレク・ベイリー近藤等則 
Improvisation 22: D. Bailey/T. Kondo 
3.インプロヴィゼイション 23(12:04) デレク・ベイリー/高木元輝/阿部薫 
Improvisation 23: D. Bailey/K. Abe/M. Takagi 
4.インプロヴィゼイション 24(8:00) デレク・ベイリー/土取利行 
Improvisation 24: D. Bailey/T. Tsuchitori 
5.インプロヴィゼイション 25(1:59) 近藤等則/高木元輝 
Improvisation 25: T. Kondo/M. Takagi 
6.インプロヴィゼイション 26(5:41) 近藤等則/高木元輝 
Improvisation 26: T. Kondo/M. Takagi 
7.インプロヴィゼイション 27(6:16) デレク・ベイリー/土取利行/吉沢元治 
Improvisation 27: D. Bailey/M. Yoshizawa/T. Tsuchitori 


デレク・ベイリー: エレクトリック・ギター/アコースティック・ギター 
DEREK BAILEY: Electric Guitar/Acoustic Guitar 
高木元輝: テナー・サックス/アルト・サックス 
MOTOTERU TAKAGI: Tenor Sax/Alto Sax 
近藤等則: トランペット/アルト・ホーン 
TOSHINORI KONDO: TRumpet/Alto Horn 
阿部薫: アルト・サックス 
KAORU ABE: Alto Sax 
吉沢元治: ベース 
MOTOHARU YOSHIZAWA: Bass 
土取利行: ドラムス/パーカッション 
TOSHI TSUCHITORI: Drums/Percussion 


レコーディング&リミックス・エンジニア: 伊東昭男 
Recording & Remix Engineer: AKIO ITOH 
アシスタント・エンジニア: 五十嵐照明 
Assistant Engineer: TERUAKI IGARASHI 
レコーディング・スタジオ ポリドール第1スタジオ 1978年4月19日 
Recorded at Polydor 1st Studio, Tokyo, 19th, April, '78 
リミックス・スタジオ ポリドール第2スタジオ 1978年5月3日 
Remixed at Polydor 2nd Studio, Tokyo, 3rd, May, '78 
カバー・フォトグラフィー: 桑原敏夫・五海裕治 
Cover Photography: YUHJI ITSUMI 
Inner Photography: TOSHIO KUWAHARA 
デザイン: 篠毅 
Sleeve Design: TAKESHI SHINO 
メニー・サンクス・ツウ: NOMMO COMPANY・半夏舎 
Many Thanks to NOMMO COMPANY, HANGE-SHA 
スーパーヴァイズド&アーチスト・コーディネイト: 間章 
Supervised and Artist Cordinated by AQUIRAX AIDA 
プロデュース: 磯田秀人 
Produced by HIDETO ISODA 


◆本CDライナーノーツ「デレク・ベイリーのまばゆさの中から」(間章)より◆ 

「「即興演奏というものが、それでも私にとって最も大きな可能性となるのは、あらゆる典範(CODE)や記憶から身をそらした時に――それは否定ということではありません――もっと全体的なあらゆる秩序を超えた秩序――それを人は無秩序と言うかも知れない――がその人間の生を照らし生そのものを提示してゆくということにあります。そして文化のコードを離れた即興はあらゆる偶然を超えていわば善悪の彼岸――此岸――たる必然の全貌をしなやかに現わすだろうと思えるのです」
 デレク・ベイリーは京都のコンサートの前にコオフィを飲みながらそのように語った。」
「私が彼のソロを聴く度に体験した名状しがたい楽しさとリラクシゼーションは本当に信じ難いものだった。」

「デレクの演奏は完全にランダムであらゆる予定調和を超えている。それは全く奇跡のようでさえあった。そして彼の演奏は常に新鮮に我々の予測を超えて全く異次元・異時間の〈いま・ここ〉へ我々をつれてゆく。そして我々はそれを恩寵のように感じてゆくのだ。私は今はっきり言う事が出来るがデレクこそ2千年に1人出現するかしないかという演奏者である。私は彼の演奏を聴き接する事が出来るようにこの世に生まれたことを本当にありがたく思っている。
 彼は演奏と演奏におけるひとつひとつの音の中からあらゆる意味論と意味を完全に排した最初の人間である。そして彼は通常の即興がそうであったように文明の中の典範(コード)に従い時として偶然や刹那的に様々の記憶を引用するという即興演奏の地平から完全に脱け出た最初のフリー・ミュージシャンである。このことの占める重要な意味を、そしてデレク・ベイリーのすごさを人々は次の20年ではっきりと知ってゆくに違いない。
 彼の演奏は言葉の本来の意味において常にどの場面においても具体的である。私は小樽の女高生が言っていた「こんなに素晴らしい体験をしたのは始めてだわ。だって彼の演奏はぜんぜん抽象的じゃないんだもの」という言葉を忘れる事が出来ない。この女高生もそうだったが今回のツアーで彼の演奏を聴いたおよそ3千人の聴衆の大半がいわゆるジャズ・ファンでもニュー・ジャズのファンでもなかった。それは我々や地方の主催者達のオーガナイズがそうであったようにジャズ・ファンにターゲットをしぼるのではなくもっとひろい日頃音楽と無縁な人々を動員しようと心がけたからであった。というのはジャズ・ファンこそデレク自身のいうようにホープレス(のぞみがない)せまさととらわれの中にいる人間だからである。私が突きあたるのはいつもこのジャズというとらわれの壁でありジャズ・ファンの無能なせまさ、救いようのない固定観念であった。(中略)残念ながら全ての人々がデレクを体験し彼の素晴らしさを理解できるとは思っていない。それまでには恐らく次の千年を要するだろう。そしてもし全ての人がデレクの音楽に感動する時代が来たとしたら、それは完全にアナーキーでスポンティニアスな共同体社会が生まれる時に違いない。デレクはこの可能性に触れて次のように述べている。「音楽について言っても全ての音楽はそれなりの使命を持っています。それなりの可能性も。だから私は一部の音楽を聴くことよりもいつも全部の音楽を聴くことをすすめます。私や私のカムパニイというグループはもちろん人間同士の或る自由な関り合いの在り方もそれ故の自由な共同性の可能性へ向かっています。自発的であるという事が特定の人間のメッセージの元で動くという事よりむずかしいと考える人がいます。それ故に様々の制度や抑圧は形を変えながらも決してなくなりはしないでしょう。私は1人1人の人間がコミューンであるような社会を想定しそうしたコミューン同士のこれ又自発的な〈連合〉を考えています。音楽の上ではそれは実現可能だという確信があります。しかし実際の生活の上ではむずかしいでしょう。ひとつの定まった形なくして生きていけない人々がいます。私は形式というのはエゴイズムだと思っていますしスタイルはその人間の不自由さを示していると思っています。(中略)即興演奏というのは私にはたったひとつのそして全ての方法です。しかし私は何故そうであるかを知らないし知ろうとも思いません。私は価値判断を持つのは好きではないんです。」私はもう10年の間ジャズの批評を行ってきた。そして私は次第にジャズとはひとつの国家でありそれは亡びるだろうし、亡ばねばならないと考えるようになっていった。人はアイデンティティーに固執し過ぎる事によって制度の補完者になってゆき自己に固執し過ぎる事によって制度的な意味での右翼ファシストになっていく。」

デレク・ベイリーが我々に教えていった最も大切な事は「誰でもがその人間の固有性と自在性の中に立ってその人間そのものであれば、それは最大の可能性と自由を手に出来る。その人間がそのものであれば。」
 デレクは共に演奏するミュージシャンに一言の意見も言わなかった。どのように演奏しようともそれはそれぞれのミュージシャンの完全に自由であった。(中略)或るミュージシャンは言ったものだ。「僕はいつも人と演奏する時自分にとまどいや不安がある。特に自分のやって来た演奏が罪なのではないかという疑念がある。しかしデレク・ベイリーは僕に自分の演奏が罪ではないということを教えてくれた。それはすごいことだった。」と。又或るミュージシャンは「彼と演奏していると自分が限りなく開かれてゆくのを感じる。そして自分のこわばりが消えうせてゆく。演奏していることに本当に幸わせを感じたのは彼と演奏して初めてだった。」と。」

デレク・ベイリーは日本で2つのレコーディングを行なった。ひとつは離日直前に新宿のベティ・スタジオでレコーディングしたソロ・アルバム「NEW SIGHTS, OLD SOUND」であり、もうひとつがこの日本のミュージシャンとのデュオとトリオでレコーディングした「DUO & TRIO IMPROVISATION」である。このレコーディングは4月19日に行なわれた14の演奏の中から選ばれたものである。中に2曲、高木、近藤のデュオが含まれているがそれは当日様々の編成で行なわれた演奏の中からデレクが選び出したものでもある。「即興演奏に良い悪いを言うのはつまらないし無益なことだ。もしそれを言うのであれば本当に即興たり得ているか自然であったかでしかない。私は全ての即興演奏を尊重する」というデレクの言葉のとおりここに収められた演奏以上に素晴らしい演奏はそれぞれコンサート・ツアーの中にあった。しかしここでの演奏も又素晴らしい演奏であることに私は確信を持っている。(中略)我々はデレク・ベイリーをギターを持ったアナーキストと呼んだ。しかしデレクにおいてこのアナーキズムは何としなやかでそして創造的であることか。私は彼をとおしてフリー・ミュージック、即興音楽がもはや実験でも試みでもなく豊かな生世界そのもののなかで豊かさそのものとして現前しているのを知る。我々はそれをこのレコードによって体験するだろう。くつろいで無心に聴いてほしい。決して情動的感動や刺激を求めるのではなく、制度的アムサムブルや盛り上りを期待してはいけない。ここにある音楽はそうしたもろもろの制度の彼方にある。そしてそこにひらかれているものこそまばゆくしなやかな音楽の光景なのだ。デレクは来日期間中一回も練習しなかった。たとえアムプやギターをチェックしている時にあってもそれはいつも演奏そのものとしてあった。彼と接しながら私は彼において即興演奏がまさに彼の生き方そのもの、存在そのものとしてある事をいつも驚きとして感じていた。」

 

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デレク・ベイリー間章

 

◆本CDについて◆ 

4頁ブックレット(内側はブランク)裏にトラックリスト&クレジット(日本文)、インレイにトラックリスト&クレジット(英文)と写真図版(モノクロ)。投げ込みに間章(あいだあきら)による解説「デレク・ベイリーのまばゆさの中から」、写真図版(モノクロ)16点。

LPは1978年にKitty/ポリドールからリリースされ、本CDののち、2003年にKitty/ユニバーサルから未発表セッションを追加収録したリマスター盤(「+4」)がリリースされています。

★★★★★ 


Derek Bailey, Motoharu Yoshizawa & Toshi Tsuchitori
Tracks 1, 4 & 7 from the album "Duo & Trio Improvisation"

youtu.be

 

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