幻の猫たち 改訂版

まぼろしの猫を慕いて

ジョン・レンボーン  『世捨てびと』

ジョン・レンボーン 
『世捨てびと』 

John Renbourn 
The Hermit 


LP: 日本コロムビア株式会社 
YS-7051-LA (1980年) 
¥1,800 

 

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SIDE A 
1.世捨てびと 3:15 
The Hermit (Renbourn) 
2.ジョンズ・チューン 2:30 
John's Tune (James-Renbourn) 
3.ゴート・アイランド 2:54 
Goat Island (Renbourn) 
4.オールド・マック・ブラジット 3:56 
Old Mac Bladgitt (Renbourn) 
5.ファロズ・ラグ 2:37 
Faro's Rag (Renbourn) 
6.キャロラインズ・チューン 3:15 
Caroline's Tune (Trepeau) 

SIDE B 
1.オウカーロウラの3つの小品集 
Three Pieces by O'Carolan:  
(a) オウエン・ロウ・オニールの哀歌 1:40 
The Lamentation of Owen Roe O'Neill (Arr. Renbourn) 
(b) ロード・インチクイン 1:46 
Lord Inchiquin (Arr. Renbourn) 
(c) ミセス・パワー(オウカーロウラ・コンチェルト) 1:37 
Mrs. Power (O'Carolan's Concerto) (Arr. Renbourn) 
2.プリンセスとプディング 2:56 
The Princess and the Puddings (Renbourn) 
3.自転車の歌 2:18 
The Bicycle Tune (Renbourn) 
4.パヴァーナ 3:40 
Pavanna (Anna Bannana) (Renbourn) 
5.(a) ア・トゥイ 1:26 
A Toye (Thomas Robinson) (Arr. James - Renbourn) 
(b) ロード・ウィロビーズ・ウェルカム・ホーム 5:12 
Lord Willoughby's Welcome Home (Arr. Renbourn) 


Produced by John Renbourn 


◆本LPについて◆ 

ジョン・レンボーンのソロ第6作。1976年録音。全曲インストです。

E式シングルジャケット。インサート(4頁)にトラックリスト、解説(黒田史朗)、参考楽譜(採譜: 森信行/「ここに掲載した楽譜は、各作品の中で最も重要な主題旋律とコードを記譜し、《参考楽譜》として編纂したものである。」)。

「Caroline's Tune」は作曲者のフランス人ギタリスト、ドミニク・トレポーとの、「A Toye」「Lord Willoughby's Welcome Home」のメドレーはウェールズのギタリスト、ジョン・ジェイムズとのデュオです。レンボーンはジェイムズの1975年のアルバム『Head in the Clouds』(Transatlantic)で3曲(ジェイムズ作の「Georgemas Junction」「Stranger in the World」、レンボーン作の「Wormwood Tangle」)ゲスト参加(ギター・デュオ)していました。「John's Tune」はそのジェイムズ作のギター曲「Head in the Clouds」を元にレンボーンが作った曲です。レンボーンはジェイムズの1977年のアルバム『Descriptive Guitar Instrumentals』でも3曲(ジェイムズ作の「Guitar Jump」、レンボーン作の「New Nothynge」「From the Bridge」)でゲスト参加しています(ギター・デュオ)。

ところで、「世捨てびと」と訳されている本作のタイトル「The Hermit」ですが、当時レンボーンはデヴォン州南部に逼塞していたのでそう名付けられたとCastle盤CD解説(David Suff)にありますが、これはタロット・カードの大アルカナの9番「隠者」で、本作のジャケ絵に描かれている白昼に崖の上でランタン(ランプ)を掲げている人物がそれです。タロットの「隠者」の図像学については(『レッド・ツェッペリンⅣ』の中ジャケにも「隠者」が描かれていましたが、そちらは夜景でした)、「白昼にランプに火をともして、「ぼくは人間を探しているのだ」と言った」(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(中)』より)というシノペのディオゲネスへの言及がオズヴァルド・ヴィルト『中世絵師のタロット』にありますが(この場合ランプは「本物の人間」を「見極めるため」に外面ではなく「内面」を照らす「理性」の譬えです)、しかし「杖と頭陀袋をたずさえて」旅に出、「あなたはどこの国の人かと訊ねられると、「世界市民(コスモポリテース)だ」と答えた」というシノペのディオゲネスは、イコン的にも、またその言動においても、タロットでいえばむしろ「愚者(The Fool)」に近いです。ルドルフ・ベルヌーリによれば(種村季弘訳論『錬金術とタロット』)「愚者」(文化人類学風にいえば「道化」)こそが「究極の叡智、究極の充溢」で、「彼は世俗の栄誉をことごとく放棄している。人びとは王冠やありとある知恵の宝を誇示するがよい。彼はそんなものには関心がない。彼は愚かな獣が自分の着古したズボンを引き裂いていることにすら気がつかない。彼は貧しく、裸に近い風体である。それでいてもはやなにものをも望まない」。ミハイール・バフチーンによれば「道化は《逆の世界》、《裏返しの世界》の王である」(『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』)、『ギリシア哲学者列伝』によれば「アレクサンドロス大王があるとき彼の前に立って、「余は、大王のアレクサンドロスだ」と名乗ったら、「そして俺は、犬のディオゲネスだ」と彼は応じた」。タロットでは「隠者」が「世界(The World)」をロゴスによって導き、「愚者」はそのカオス性によって「世界」=コスモスを裏側から補完します。学究的・職人的なジョン・レンボーンが「隠者」(という名の導者)だとすると、自由な放浪者でありながら終始一貫して変わることがないバート・ヤンシュは「愚者」(という名の智者)ですが、それはそれとして、図像学的には、キリスト(とキリストによって象徴される「全世界」)を背負って川を渡ったという聖クリストフォロスに、キリストに会いたければ「むこう岸へ渡ろうとして多くの人たちが命を落とす川」で「人びとをかついで」「むこう岸へ渡して」やるようにとアドヴァイスした「隠修士(隠者)」(ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』より。このような聖人伝の記述に基づいて描かれた彩飾画版画には、川岸にランタンを手にした隠者の姿が描き込まれています)が原形だと思われます。この場合のランタン(ランプ)は「世界」を導く灯台=「信仰」の譬えですが、オズヴァルド・ヴィルト『中世絵師のタロット』には「隠者は(中略)大きなマントの裾で一部を隠したランプを右手で掲げており、それはこのささやかな光すらも直視できない人の眼を眩(くら)ませぬためのようである。己の知を輝かせるのは、自らが進んで行く便宜のためだけである。この哲学者は謙虚であり、自らの知識は己の知らぬことに比べれば取るに足らないものであることをわきまえているので、一切の幻想を抱かない。知性に関わる傲慢すぎる野心は放棄し、地上の務めを達成するために不可欠な観念を、謙虚に集めることで満足している。」「己の隠れ家で、保ち続ける意志を強化し、大いなる切望をあらん限りの無私の愛で磁化させて、自らの考えを成熟させていく。こうして、この夢見る人は素晴らしい成果を用意することができる。というのも、同時代人からは知られずとも、未来を確かに作る職人となるからである。」とあって、むしろ仏教でいう「自灯明」に近いです。

レンボーンの謙虚な成熟の様相は、1965年のファースト収録曲「Train Tune」と、その11年後の本作「The Bicycle Tune」を聴き比べれば一目(耳)瞭然です。


Train Tune 


The Bicycle Tune