幻の猫たち 改訂版

まぼろしの猫を慕いて

『琵琶行~伊福部昭作品集』  野坂惠子

『琵琶行~伊福部昭作品集』 
野坂惠子 

PIPA XING 
Works of AKIRA IFUKUBE 
KEIKO NOSAKA, 25-Stringed Koto  


CD: カメラータ・トウキョウ 
Camerata 28CM-558 (1999年) 
税込定価¥2,940(税抜価格¥2,800) 
Made in Japan 

 

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1.二十五絃箏曲「琵琶行(びわこう)」(1999) 20:02 
PIPA XING - d'après poème de Bo Ju-yi - pour Koto à vingt-cinq corder (1999) 

2.二十五絃箏曲「胡哦(こが)」(1997) 10:35 
CHANT DE LA SÉRINDE pour Koto à vingt-cinq cordes (1997) 

3.二十五絃箏曲箜篌歌(くごか)」(1969) 18:04 
KUGO-KA Aria Concertata de Kugo-harpe pour Koto à vingt-cinq cordes (1969) 


野坂惠子(二十五絃箏) 
Keiko Nosaka, 25-Stringed Koto 


録音:1999年8月11日[1] 
1998年7月10日[2]、[3] 
牧丘町文化ホール(山梨) 
Recorded: August 11, 1999 [1] & July 10, 1998 [2], [3] 
Makioka Arts Hall, Yamanashi, Japan 


Total time 48:49 


Producer: HIROSHI ISAKA 
Recording Engineer: MOTOKI MIYATA [1] / YASUHISA TAKASHIMA [2],[3] 
Editing: HIROSHI WAKO 
Recording Date: August 11, 1999 [1] / July 10, 1998 [2],[3] 
Recording Location: Makioka Arts Hall, Yamanashi, Japan 

Photograph: HIROSHI ISAKA 
Cover Design: YOSHIHIRO O'HARA 


◆本CD「曲目解説」より◆ 

「二十五絃箏曲「琵琶行」」
「二十絃箏の創始者である野坂惠子さんが、新たに、更に音域を拡げて二十五絃箏を創られたと伺った時、箏も、いよいよ古式の原形に立ち到ったものと感一入であった。
 二十五絃は、その高雅な響きの故に、古来、多くの詩歌にも詠まれ来った。唐の銭起(722~780)の『帰鴈』には「二十五絃彈夜月」とあり、北に帰る鴈も、この音に惹かれて戻って来るであろうとあり、又、白居易(772~846)の長詩、『五絃彈』では、当時、西域から伝来した五絃琵琶が持て囃され、趙璧のような名手も現れたが、これは所詮、俗な楽で、正楽の二十五絃が蔑ろにされる時流を悪む意が詠まれ、最后の句は「二十五絃不如五」と結ばれている。
 更に古く、『史記』(前91年頃成立)の本紀には「泰皇素女ヲシテ鼓五十弦ノ瑟ヲ鼓セシム。悲シ。帝禁ズレドモ止マズ。故ニ其ノ瑟ヲ破リテ二十五弦ト爲セリ。」と見え、これが二十五絃の起源とされている。然し、泰皇とは、伝説上の人物、伏犠のことなので、史記の時代に楽器が実在したか否かは定かでなかった。
 ところが、1972年、中国湖南省長沙市郊外の馬王堆で漢の古墳の発掘が行われた。地下深くから現れた遺体は、未だ筋肉に弾力が残っており当時世界を驚かせたが、その千点にのぼる副葬品の中から、絃を張ったままの二十五弦が現れた。この漢墓は長沙相の利倉侯夫人のもので、利倉侯は前192年から前187年の間、この地に在ったので、二十五絃は、その頃、既に王侯、貴族の間で奏でられていたことが明らかとなった。
 今、箏、瑟の差は暫く措くとして、二十五絃は2000年を超える永い歴史を経て、現代に蘇ったこととなる。誠に、感なきを得ない。
 野坂さんから、この新しい二十五絃の為に何か新作をとの話を受けたが、この悠久な歴史が偲ばれて心に重く、俄かには筆を起す決心がつきかねていた。
 其の後、たまたま、野坂さんと客人と三人で晩餐を供にする機会があった。渋谷に在る南国酒家と云う店であった。しばらく杯を重ねていると、突然、思いもかけぬ中国琵琶の音が流れて来た。ふと見ると、中段の躍場の一隅で生の演奏が静かに行われているのであった。あだかも、白居易の長詩『琵琶行』の冒頭を偲ばせる趣であった、その時、そうだ、白氏も亦二十五絃の信奉者だったではないか、あの詩の興に倣って作品を纏めて見ようと思い立った。
 詩は、白氏が左遷され長江の支流、九江郡に在った時の作。秋、訪ねて来た旧知を夜の波止場に送り、舟中で別れの杯を傾けている時、ゆくりなくも、水上を伝わる琵琶の音を耳にする。その音は「錚々然トシテ京都ノ声アリ」とある。当時、長安の都は、300以上の国や地域との交易があり、遥かな地方の文物も流れ込んでいた。音に聡い詩人は、其の奏法、旋法の並ならぬのを聴きとったのであろう。舟を近づけて、音の主を呼び入れると、果して、嘗ては、長安の一二を競う美妓、又、琵琶の名手として謳われていたが、今は、年長けて色衰え、商人の妻となり江上に孤舟を守る身であると云う。謫居して病勝ちな白居易は、「同ジク是レ天涯淪落ノ人」との共感に堪え難く、更に一曲を所望する。久々に、識耳を得た妓は、乞わるるまま、先程とは異って、速やかにして悲、淒々たる楽を奏で、往年の片鱗を漂わす。彈き終れば、江心には白き秋月、詩人の青い上衣は涙に濡れる。
 二十五絃箏曲「琵琶行」は、この詩の興に倣って、一部、音詩の様式を借り、序破急の自由な三部形式としました。
 野坂さんの演奏は、作品の意を汲んで、眞に絶妙を極めています。作者冥利に尽きるの感に堪えません。」(伊福部昭

「二十五絃箏曲「胡哦」」
「野坂惠子の依嘱により1997年2月3日に完成し、同年3月11日、第16回野坂惠子リサイタル(於東京・津田ホール)で初演された。
 タイトルは「胡人のうた」の意。胡人とは中国に於ける北方や西方の異民族の呼称だが、ここで作曲者は特に、シルクロード華やかなりし頃、敦煌からカシュガル辺に住んでいた、西アジア系の民族をイメージしているようだ。
 曲は、まず、西方的な歌謡主題をアダージョカンタービレで提示する。その「胡人のうた」は二調のフリギア旋法に基づいており、旋律は音階を下がってゆく動きに特徴づけられている。そしてそれに、アレグロによるトッカータ的運動が続き、あとは両者が交互にあらわれる。歌謡主題の方は、1964年の映画『モスラ対ゴジラ』の挿入歌として伊福部が作詞・作曲した「聖なる泉」の引用。」(片山杜秀

「二十五絃箏曲箜篌歌」」
「1969年5月27日、パリで渡辺範彦が初演したギター曲。ギター用の楽譜のままで、二十五絃箏による演奏も可能であり、そのかたちでは、1997年3月11日、第16回野坂惠子リサイタル(於東京・津田ホール)で初演された。」(片山杜秀) 


◆本CDについて◆ 

ブックレット(全12頁)に「曲目解説」(伊福部昭片山杜秀)、「プロデューサー・ノート」(井阪紘)、「プロフィール」(作曲者・演奏者紹介)、曲目解説英訳&英文プロフィール、「RECORDING DATA」、写真図版(モノクロ)2点。ブックレット裏表紙に写真図版(カラー)1点。インレイにトラックリスト&クレジット。

リリース年は1999年とありますが、本CDは再プレスで、「プロフィール」がアップデートされています。

★★★★★ 


琵琶行


胡哦


箜篌