幻の猫たち 改訂版

まぼろしの猫を慕いて

『伊福部昭の芸術 6  亜 ― 交響的エグログ』 

伊福部昭の芸術 6 
亜 ― 交響的エグログ』 

The Artistry of Akira Ifukube 6 
A - Akira Ifukube Orchestral Works 


CD: King Record Co., Ltd. 
KICC 439 (2003年) 
定価¥3,000(税抜価格¥2,857) 

 

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バレエ音楽「日本の太鼓」ジャコモコ・ジャンコ(1951/1984) 
Ballet "Drumming of Japan" JAKOMOKO JANKO 
1.Ⅰ. プレリュード~八ツの鹿(しし)の踊り 10:27 
2.Ⅱ. 女鹿かくしの踊り 7:39 
3.Ⅲ. 二ツの鹿の踊り 3:33 
4.Ⅳ. 八ツの鹿の踊り 9:10 

5.二十絃箏とオーケストラのための「交響的エグログ」(1982) 29:48 
EGLOGUE SYMPHONIQUE pour Koto à vingt cordes et Orchestra 

6.フィリピンに贈る祝典序曲(1944) 14:27 
Oberture Festiva "SA BAGO FILIPINAS" 


本名徹次 指揮/日本フィルハーモニー交響楽団 
二十絃箏:野坂恵子[5] 
TETSUJI HONNA 
Conducting the JAPAN PHILHARMONIC ORCHESTRA 
KEIKO NOSAKA, Koto (20 string) [5] 


録音:2003年8月25-26日 かつしかシンフォニーヒルモーツァルトホール[1]-[4]、[6] 
2003年9月8-9日 大田区民ホール アプリコ 大ホール[5] 
Recorded: 25-26 August 2003 Katsushika Symphony Hills, Mozart Hall [1]-[4], [6] 
8-9 September 2003 Aprico, Large Hall [5] 


監修:伊福部昭 
Supervisor: Akira Ifukube  
プロデューサー:松下久昭 
Director: Hisaaki Matsushita (King Records) 
レコーディング・エンジニア:須賀孝男  
Recording Engineer: Takao Suga (King Sekiguchidai Studio) 
テクニカル・エンジニア:高橋邦明 
Technical Engineer: Kuniaki Takahashi (King Sekiguchidai Studio) 
マスタリング・エンジニア:金子清次 
Mastering Engineer: Seiji Kaneko (King Sekiguchidai Studio) 
アシスタント・エンジニア:西澤亜友/宮下真理子 
Assistant Engineers: Ayu Nishizawa (SCI) / Mariko Miyashita (SCI) 

アートワーク・マネジメント:山下淳一 
Artwork Management: Junichi Yamashita (King Records) 
デザイン:美登英利 
Cover Design: Hidetoshi Mito (Mitografico) 
ブックレット・本文レイアウト:アプローチ 
Booklet Layout (Approach) 
写真:岡本央 
Photo: Sanaka Okamoto 

共同企画:日本フィルハーモニー交響楽団 
Co-Planning: JAPAN PHILHARMONIC ORCHESTRA 


◆本CD「自作を語る」(伊福部昭)より◆ 

バレエ音楽『日本の太鼓〈ジャコモコ・ジャンコ〉』」
「1951年の夏でしたが、舞踊家の江口隆哉さんに連れられて、岩手県の鶴羽衣(つるはぎ)という集落に行きました。そこに伝承されている民俗芸能の鹿踊(ししおど)りをオーケストラ伴奏によって現代舞踊化したいということで、作曲を依頼され、その取材でしたが、これが観てみるとまことにいい踊りでした。歌や笛が入るのかと思っていたら、そういう旋律的要素は皆無で、ただ踊り手が、太鼓を携え、竹を割ったささらを背負って、それらを自ら叩き鳴らしリズムを刻みながら踊るのです。演目には、女鹿を追っかけるとか、極めて単純で原始的な物語性を有するものもあるにはあるものの、まあ、その程度で、筋らしい筋はほとんどありません。しかしというか、それ故にというか、とにかく踊りとして素晴らしい。アイヌの踊りは子供の頃からよく見て知っているつもりですけれど、それと同じで、力強く直線的で澱みなくテンションを維持して切れるところがありません。能や歌舞伎の舞踊になりますと、洗練された曲線の動きがありますし、そういうものに近い民俗芸能にも曲線の動きは認められるものですが、この鹿踊りにはそれがなく、まったく素朴な分、衰弱や退廃に通じる要素もまたどこにも認められないのです。これにはいたく感動しました。縄文期の日本人の根源的な美意識が保存されているようで。岩手というと、日本の中央の支配から長年、外れていた地域ですから、アイヌにも通じる原初的な文化がやはり残ったのでしょう。そう言えば、最後の拍が強いのも、アイヌの踊りと同じです。西洋の拍節法ですと、1拍目が強く後の拍は弱くというのですが、東アジア固有のリズムといいますか、それはうしろが強いのではないでしょうか。」
「さて、何しろ元の鹿踊りには律動はあるものの旋律がないのですから、それをオーケストラを用いたバレエ音楽にするとなると、リズムはかなり借用でき、元の素朴さをそのまま生かせるけれど、メロディはすべて創作しなければなりません。そこで考えるに、どうも日本伝統と言われている各種5音音階だけでは縄文的な土俗の根源のようなものをおおらかに歌うには音程の数が足りないんですね。いや、そもそも日本の伝統音楽は本当に5音音階なのでしょうか。上原六四郎という人は『俗楽旋律考』で日本は5音音階と結論づけ、その意見がずうっと大きな影響力を今日まで保っていますが、しかし八橋検校の『六段の調』とか、いろいろな労働歌や物売りの歌とかを聴いても、5音音階から外れる重要な音程が出てきます。江戸時代の三味線音楽やその影響下にある民謡など、なるほど5音音階で理解できるものも多いのですが、6音や7音で考えないと整理不能な旋律、音感も日本人にはやはりかなり古くから備わっていたのではないでしょうか。そして本当に優れた音楽、あるいは本当に民衆的なヴァイタリティを保った音楽には、5音音階から外れたものがけっこうあるようにも思われるのです。そこで『日本の太鼓』では、5音音階のふしも使っていますが、それにとらわれないでこそ、日本人のおおらかなふしを歌えるのだというつもりでいろいろ工夫し、不思議なふしをたくさん書いたつもりです。その結果、曲名は『日本の太鼓』のくせに、西洋の音階になっているではないかとか言われたりもするのですが、それは西洋の長短調の7音音階をわざわざ借りてきているわけではなく、日本人のふしの核心に迫ってゆけば自ずとこうなるというつもりなのです。」

「二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ」
「この作品は東京交響楽団の委嘱で書きました。箏と管弦楽による協奏的作品を並べた主催演奏会を開きたいので、そのメイン・プログラムにということでしたが、日本の楽器と西洋のオーケストラの協奏曲など容易に作れるものではありません。しかし担当プロデューサーに8時間も懇請され、さすがに根負けし、ソリストに、既に独奏曲の『物云舞』など弾いて貰っていた野坂恵子さんをお願いできるならということで、お引き受けしました。」
「その箏をオーケストラとどう合わせるかですが、やはり箏は短く音の切れてしまう楽器です。箏の醍醐味は余韻を楽しむことにあるともいいますが、それはたっぷりした余韻に溺れるというよりも、かすかなそれに懸命に耳をそばだてるという楽しみ方なのでしょう。とにかく持続音がなくて瞬間芸の集積みたいにしか振る舞えない楽器ですね。また音域は比較的高い。そしてそういう箏の音のありように日本の伝統的な音の美学が端的に表れているともいえましょう。つまり音が持続せず、しかも高めということです。といっても日本人は一方では低音の持続音に対する美意識も発達させていますね。たとえば梵鐘の深く低く長く引き伸ばされる響きに無常を感じるというような……。しかしそのような梵鐘的響きは狭義の音楽にはあまり入り込んでいないでしょう。それならば、低音もあれば持続音も自在な西洋のオーケストラという媒体を箏と組み合わせ、互いにないものを補い合いながら協奏させて、箏に感じられるような美と梵鐘に感じられるような美を対話させることにも意味があるのではないか。そんなつもりで書いたものです。」

「フィリピンに贈る祝典序曲」
「これは戦争中の作品で、戦後は楽譜の所在が分からなくなり、もうなくなったものと思っていました。ところが2002年の暮れ、旧知の評論家の相沢昭八郎さんを介し、ヴァイオリニストの佐近協子さんという方から連絡があり、なんでも20年ほど前に亡くなられた御父上の遺品を整理していたら、トランクの中から楽譜が出てきて、その中に私の曲もある、それがフィリピンに贈った序曲だというんですね。しかも総譜とパート譜一式がセットであるという。何でも御父上もヴァイオリン弾きで、その楽譜類は戦争に負けた直後の混乱期に人から預かってそれっきりになっていたというんですが。とにかくそれで返して頂き、そのあと諸々あって、今回、録音されることになりました。」
「祝典というのは、フィリピンがアメリカの植民地から解放されて独立する、その祝典です。1943年にフィリピン独立ということになって、日本からフィリピンに祝賀の曲を贈呈するからと、私が頼まれて書きました。もっともフィリピン独立といっても、日本が負けると、あのとき出来たフィリピン政府は日本の傀儡とされ、戦後改めてもう一度、フィリピンはアメリカから独立を果すのですけれども……。」
「それから何十年かたち、この曲と再会し、先日の録音に立ち会ったのですが、音量は大きく出ますし、まだまだ日本に勝ち目があるのではないかというあの時期の舞い上がった気分の反映もそれなりにありますけれども、やはり夜、本職の仕事が終わってから灯火管制下の暗い部屋で書いていたせいでしょうか、肚の底から湧くような元気が足りないというか、どうも暗い感じが致します。」


◆本CDについて◆ 

ブックレット(全24頁)にトラックリスト&クレジット、「自作を語る」(2003年9月1日、於尾山台。/文責:片山杜秀)、「作曲家と作品について」(片山杜秀)、「アーティスト・プロフィール」、写真図版(モノクロ)6点。

★★★★★ 


バレエ音楽「日本の太鼓」ジャコモコ・ジャンコ