幻の猫たち 改訂版

まぼろしの猫を慕いて

『伊福部昭の芸術 5  楽 ― 伊福部昭 協奏風交響曲/協奏風狂詩曲』 

伊福部昭の芸術 5 
楽 ― 伊福部昭 協奏風交響曲/協奏風狂詩曲』 

The Artistry of Akira Ifukube 5 
RAKU - Akira Ifukube Orchestral Works 


CD: Firebird/King Record Co., Ltd. 
KICC 179 (1997年) 
¥3,059(税込)(税抜価格¥2,913) 

 

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ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲(1941) 
SYMPHONY CONCERTANTE FOR PIANO AND ORCHESTRA 
1.第1楽章:ヴィヴァーチェ・メカニコ 14:40 
1st Mov.: Vivace meccanico 
2.第2楽章:レント・コン・マリンコニア 10:24 
2nd Mov.: Lent con malinconia 
3.第3楽章:アレグロ・バーバロ 11:22 
3rd Mov.: Allegro barbaro 

館野泉(ピアノ) 
IZUMI TATWNO (piano) 
大友直人指揮/日本フィルハーモニー交響楽団 
NAOTO OTOMO conducting the JAPAN PHILHARMONIC SYMPHONY ORCHESTRA 

録音:1997年8月18日―20日 府中の森芸術劇場 どりーむホール 
Recorded: 18-20 August 1997 FUCHU-NO-MORI THEATER DREAM HALL 


ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲(1948/1971) 
RAPSODIA CONCERTANTE PER VIOLINO ED ORCHESTRA 
4.第1楽章:アダージョアレグロ 13:59 
1st Mov.: Adagio - Allegro 
5.第2楽章:ヴィヴァーチェ・スピリトーソ 9:58 
2nd Mov.: Vivace spiritoso 

徳永二男(ヴァイオリン) 
TSUGIO TOKUNAGA (violin) 
広上淳一指揮/日本フィルハーモニー交響楽団 
JUN'ICHI HIROKAMI conducted the JAPAN PHILHARMONIC SYMPHONY ORCHESTRA 

録音:1997年6月30日、7月1日 所沢ミューズ アークホール 
Recorded: 30 June, 1 July 1997 TOKOROZAWA MUSE ARK HALL 


監修:伊福部昭 
Supervisor: AKIRA IFUKUBE 
プロデューサー:松下久昭 
Director: HISAAKI MATSUSHITA 
レコーディング・エンジニア:高浪初郎 
Recording Engineer: HATSURO TAKANAMI 
アシスタント・エンジニア:星野直人(SCI)  
Assistant Engineer: NAOTO HOSHINO (SCI) 
マスタリング・エンジニア:安藤義彦(HARION) 
Mastering Engineer: YOSHIHIKO ANDO (HARION) 
調律:鶴田昭弘 
Tuner: AKIHIRO TSURUTA 
総譜復元:甲田潤 
Score Reproduction: JUN KOUDA 

エグゼクティヴ・プロデューサー:天沼澄夫 
Executive Producer: SUMIO AMANUMA 
アドヴァイザー:福田稔/新井健司 
Advisor: MINORU FUKUDA / KENJI ARAI 
アートワーク・マネジメント:門馬光昭 
Artwork Management: MITSUAKI MONMA 
デザイン:美登英利 
Cover Design: HIDETOSHI MITO 
フォトグラフ:斉藤忠徳 
Photograph: TADANORI SAITO 


◆本CD「自作を語る」(伊福部昭)より◆ 

「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲について」
「この作品はもう焼けた筈だったのです。1942年に東京で初演したあと、そのまま楽譜を、総譜もパート譜も東京の中央交響楽団の練習所に置いていて、45年に空襲で焼けてしまった……。「あの楽譜は焼けた。済まない」と初演の指揮者のグルリットから、終戦前に確かに手紙を貰いました。
 無くなったのは惜しい。とはいえ、私の考えることも変わってきますから、改めてわざわざ復元する気にもなれない。そこで、あの曲の楽案を別のかたちで活用してみようと、残っていたスケッチをもとに、戦後、『シンフォニア・タプカーラ』と『リトミカ・オスティナータ』を書いたのです。
 ところが数年前、私の弟子の長瀬(博彦)さんが渋谷のNHKの資料室で揃いのパート譜を見つけてしまった。中央響にあった筈のものが、なぜNHKパート譜だけ行っていたのか……。さっぱり分からない。
 とにかく私としては、この曲がないことを前提に『シンフォニア・タプカーラ』と『リトミカ・オアスティナータ』を世にだしているのだから、今更、出てきて貰っても困る……。そこでオクラ入りにしようと決めたのですが、周囲から歴史的値打ちがどうのと何年にもわたって口説かれ、恥ずかしながら、つい折れてしまいました。そこで、私の弟子の甲田(潤)さんに、パート譜から総譜を復元して貰い、今回の録音に至ったわけです。音は昔、書いたままで、少しもいじっておりません。
 作曲の意図としては、とにかく当時、大きい作品を書きたかったのです。この前に『日本狂詩曲』(1935年)と『土俗的三連画』(1938年)を書いておりますが、後者は室内オーケストラで15分ほど、前者は大オーケストラを使っていても、やはり15分ほど……。
 そこで今度は、長めのシンフォニーをという気になったのですが、私は師匠のチェレプニンに「バラキレフは最初のシンフォニーを書くのに30年かかった」と釘を刺されている。なら、独奏楽器を入れて協奏風交響曲にし、シンフォニーから一歩引いたらよいのではないか……。
 すると、独奏楽器を何にするかですが、ヴァイオリンは自分で弾いてよく知っているので、かえってやりにくい。それなら、ピアノはどうだろう……。当時は、何かメカニックかつエネルギッシュな音楽を作りたいとの欲求を持っていましたから、その意味でも、メカニックに扱えるピアノは、都合が良かったのです。
 メカニックというのは、何しろあの頃は、極めて近代的な戦争を世界中でやっておりましたから……。そういう時代感情の表現として、別に戦争を礼讃するわけではないけれど、モダンな鉄と鋼の響きと民族的なエネルギーを結び付けられないかという想念にとらわれたのです。プロコフィエフやモソロフやオネゲルやヴァレーズの未来派的作品にも影響されていました。そうして書いているうちに、東京から1942年の春のコンサートでおまえの曲をやりたいと言ってきたので、そのスケジュールに合わせ、完成させました。
 初演の1942年3月3日は、太平洋戦争の勃発から3ヶ月後で、ちょうど、北はアラスカ、西はマダガスカルでの日本軍の戦果が報道されていた日でした。早坂(文雄)君などと、日本もやるもんだなあと語り合った記憶があります。とにかく、ちょっといかれていたのですね。そのいかれた気分が、どうも音楽に反映したようで……。もっとも、第2楽章には、地が出てしまいましたけれども……。」

「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲について」
「ピアノの次は、いよいよ子供の頃から弾いてきたヴァイオリンのコンチェルトを作ろうと思いました。それで、戦争中からスケッチをはじめ、終戦直後、放射線障害で倒れ、1年間、札幌で寝ていた間も、いろいろやっていました。
 しかし、一番時間を掛け、この曲に取り組んだのは、1946年の夏からしばらく、日光の山奥に住んでいたときです。あの頃は、とにかく暇でした。(中略)決まった曜日に上野の東京音楽学校(現・東京芸術大学)に教えに行く以外は、何もすることがない。それで、ひとりヴァイオリンを弾きながら、コツコツ書きました。ただ、当時は子供が小さかったので、夜になると、もう音を出せない。それで、さい箸を弓の代わりにもって、ボーイングを確かめながら書く……。回りから聞こえてくるのは、猿や鳥のわびしい鳴き声ばかり……、戦争に負けて世の中がどうなるかも分からない……。そんな環境から出て来た曲なので、ピアノの『協奏風交響曲』とは、ずいぶん違った音楽になったと、自分では思っています。」


◆本CD曲目紹介(片山杜秀)より◆ 

「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲
「この曲に関して作曲者は、初演コンサートのプログラムで次の様に述べている。「血液の審美と現代のダイナミズムの結合が、この作品の主体である。またこれらに何等かの色彩を得たとすれば、それは私の個性と北方感覚の参加に他ならない。」
 これはつまり、日本人、アジア人の血の中にある土着的・根源的美意識と機械文明的モダニズムとを結び付けようとしたということだろう。
 具体的にすれば、この作品に聴かれる諸主題、諸動機の旋律型は、日本古来の3種の5音音階―律音階(ド-レ-ファ-ソ-ラ)、田舎節音階(ド-ミ♭-ファ-ソ-シ♭)、都節音階(ド-レ♭-ファ-ソ-ラ♭)、及びそれらの変化型(たとえば、ド-レ-ファ-ソ-ラ♭)を、ベースに作られている。これら5音音階こそが、この作品で「血液の審美」を保証する要素となるのだ。
 そして、これら5音音階に担われ、アジア的な美意識を表現する諸旋律型は、機械文明的モダニズムを表徴する道具立て――不協和なコード、錯綜した変拍子、低音管楽器を重用したグロテスクなオーケストレーション、ピアノのトーン・クラスターなどと、緊密に接ぎ合わされる。このようにして伊福部は、素朴なアジア的歌声と、モダニスティックな鉄と鋼の響きとの出会いを、見事に演出するのである。
 こうした音楽の気分には、プロコフィエフの第2交響曲や『鋼鉄の歩み』、モソロフの『鉄鋼所』、オネゲルの『パシフィック231』などの、未来派的・機械主義的作品の影を見いだすこともできよう。また、この作品が第2次大戦のさなかに作曲されている点も重要である。つまり、この曲は、戦時の緊張感や熱狂感と密接に結びついた、メード・イン・ジャパンの戦車と軍艦と大砲の音楽とも言えるのであり、その意味でこれは、ショスタコーヴィッチの第7交響曲ハチャトゥリアンの第2交響曲、あるいはストラヴィンスキーの『3楽章の交響曲』などと、まったく同時代的な楽曲なのだ。」

「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」
「このコンチェルトは、伊福部の創作史に於いて、いかなる位置を占めるだろうか? 彼は、1941年の、ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲で、民族主義と機械文明の結合を志向した。それは、より尖鋭なモダニズムへの傾斜を予感させるものであった。が、伊福部は、戦争の悲惨な経過のせいで、機械文明、近代世界にすっかり幻滅した。その結果、彼は、このヴァイオリン協奏曲とそれに先んじる『交響譚詩』で、機械文明的音響と手を切り、自身の作曲の原点、アジアの民衆の素朴な歌声――時に力強く、時に哀愁に満ちた歌声の世界への、回帰をはかったのである。」


◆本CDについて◆ 

ブックレット(全32頁)にトラックリスト&クレジット、「“幻の曲”復活。」(木部与巴仁)、「自作を語る」(1997年8月13日、伊福部宅にて/文責:片山杜秀)、「作曲家と曲目紹介」(片山杜秀)、「アーティスト・プロフィール」(演奏者紹介)、英文解説、写真図版(モノクロ)4点。

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ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲