幻の猫たち 改訂版

まぼろしの猫を慕いて

アーント・サリー 『ライヴ 1978-1979』

アーント・サリー
『ライヴ 1978-1979』
Aunt Sally
Live 1978-1979


CD: P-VINE RECORDS/Blues Interactions, Inc.
PCD-5629 (2001年) 
¥2,500(税抜価格) 

 

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帯文: 

アーント・サリーの未発表ライヴ遂に登場!! 
未発表曲多数収録!!」
「解説:大鷹俊一/対談:phew×bikke(構成:石原基久)/コメント:各界著名人の歓びの声多数」


1.かがみ (phew/P.D)
2.Mony Mony (Tommy James)
3.すべて売り物 (phew/bikke)
4.電撃バップ (Ramones)
5.My Generation (P. Townshend)
1978年11月5日@心斎橋バハマ 
phew (vo), bikke (g), mayu (key), 片岡 (b), 丸山孝 (drs)

6.Essay (phew/bikke)
7. i was chosen (phew/bikke)
8.パノラマ島~cool cold (phew/aunt sally)
9.aunt sally (phew/bikke)
1978年12月28日@心斎橋バハマ 
phew (vo), bikke (g), mayu (key), 片岡 (b), 丸山孝 (drs)

10.醒めた火事場で (phew/bikke)
11. sha la la~Lolita (phew)
1979年3月18日@心斎橋バハマ 
phew (vo), bikke (g), mayu (key), 中岡義雄 (b), 丸山孝 (drs)

12.うぬぼれないで (phw/bikke)
13.いつだって (phew/aunt sally)
14.フランクに (phew/bikke)
15.音楽 (phew/bikke)
1979年4月30日@京大西部講堂
phew (vo), bikke (g), mayu (key), 中岡義雄 (b), 丸山孝 (drs) 

16.パラフィン中毒 (phew)
17.岸辺 (phew)
18.踊りましょう~終曲 (phew)
1979年9月30日@神戸元町YAMAHA
phew (vo), bikke (g), mayu (key), 中岡義雄 (b), 小寺祥之 (drs)

mastered by Tetsuya Kotani (Omega Sound)
produced by Keiichi Ushido (いぬん堂) 

photo by Yuichi Jibiki, Jin Sato, Takashi Suzuki and friends
art direction & design by Takashi Miyagawa

「*残されている音源がすべてカセットテープ(モノラル録音)の為お聞き苦しい箇所がありますが、ご了承下さい。」


◆本CDブックレット「Phew×bikke 対談」より◆ 

「P●Phewって名前をつけてくれたのはbikkeよね。
b●Phewの家に泊まりに行って辞書を見ながら決めたね。
P●ある日、練習に行ったら「あんたはPhew」って突然いわれたつもりでいたけど、そんなドラマティックじゃなかったんだ(笑)。ベレー帽を被れっていったのもbikkeでしょ。
b●そうだったっけ。で、最初はコピーというか、カヴァーが殆どで。今回収録されているもの以外には、パティ・スミスの「パンピング」、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「サンデー・モーニング」「ホワット・ゴーズ・オン」とかやってたよね。
オリジナルはPhewが喫茶店で紙切れに「i was chosen」の英語の歌詞を書いて、それを持ち帰って曲つけたのが最初かな。私自身としても初めての作曲だった。詞の内容なんて多分理解してなかっただろうけど、Phewという全存在に触発されて曲をつけたと思う。
P●「醒めた火事場で」とかあのあたりができた時、こういうのが私たちにしかできない音かもしれないって思った。キレイなメロディのものとかポップなものとかは殆どbikkeから教えてもらった気がする。私の中にそういう資質はなかったから。(中略)日本のフォークソングとかも、私はbikkeっていうフィルターを通すと聴けたのね。日本のフォークの持つ湿度が嫌いだったんだけど、bikkeを通すと除湿されるというか(笑)。」

「P●いまから思うと、時代に触発されて音楽をやったのはあの1年半だけだった気がする。それ以降は、まず自分のやりたいことありきだったから。けど、今回通して聴いてみて、いま自分がやっていることのエッセンスはすべて出ていると思った。ほんと、いまに繋がってるもんね。」


◆本CDについて◆ 

透明ジュエルケース。インレイ内側(トレイ部分)に写真図版(モノクロ)1点。ブックレット(全16頁)に大鷹俊一による解説、各氏コメント(ホッピー神山/TAYLOW/菊地成孔/磯田オサム/石橋正二郎町田康/近藤達郎/西岡由美子/久保田真吾藤田淑子/美川俊治/恒遠聖文/山崎マゾ/Eddie Legend/渕上純子/小堺文雄/Atsuo/サエキけんぞう勝井祐二/清水寛/中村直也豊田道倫地引雄一/広重嘉之/恒松正敏/山本精一/竹田賢一/小西昌幸巻上公一/南部裕一/上野耕路)、「Phew×bikke 対談」(構成: 石原基久 2001.01.03)、「aunt sally 活動歴」。写真図版(モノクロ)21点。

スタジオ盤はニューウェーヴでしたが、ライヴはパンクでした。
「Essay」はアルバム収録ヴァージョンとは歌詞がちがっていて、よりパンクになっています。「私がいつも皮肉なのは/みんなが私を嫌うからよ」「私がいつも図々しいのは/みんなが私を嫌うからよ」「私がこうして歌うのも/みんなが私を嫌うからよ」。
アルバム未収録曲のうち、「Mony Mony」「電撃バップ」「My Generation」はカバー、「パノラマ島~cool cold」の「ねえねえ 私を連れてって/パノラマ島へ連れてって」は「Aunt Sally」の歌詞の一部で「Cool Cold」はスタジオアルバムCD化の際にボーナストラックとして別音源ライヴ(1979年3月)が追加収録されています。「sha la la~Lolita」「いつだって」「音楽」「パラフィン中毒」もアルバム未収録曲。「うぬぼれないで」は、のちに『Phew Songs』収録「いちばんのもの」に改作されています。「岸辺」は「i was chosen」同様三拍子のノスタルジックで切ない佳曲ですが、シングル「終曲」の原型である「踊りましょう」もアーント・サリーのヴァージョンでは三拍子のノスタルジックで切ない曲でした。そうしたいわば日本のフォーク的なノスタルジックな要素をアーントサリーと共にいったん封印して、それが再び開封されたのが『ファイヴ・フィンガー・ディスカウント』だったようです。

★★★★☆ 


Aunt Sally - Live 1978-1979

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